TRM vs 古賀北中・自由が丘中

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新たな成長を生み出すために、非効率的な古い部分を捨て去る新陳代謝。
チームとして、選手として、さらなる高みへと進むためにも必要なプロセスが「創造のための破壊」です。

そんなこんなで、今回のTRMはポジションをシャッフルして行われました。
もちろん、不慣れなポジションですので選手たちのプレーはしどろもどろしてました。


結果、生産的な敗北でした。

余談ですが、選手はポジションをガッチリ決められて、ワンパターンのサッカーを強いるチームは、はっきり言って強いです。勝つためのサッカーをやってますから。
しかし、プレーを見ていて全く面白みを感じません。賛否両論あるとは思いますが、私的には「育成」の観点が欠落した残念なチームだと思います。

A戦、選手たちは勝手がわからないポジションで「なんとかしよう」と懸命なプレーをしてました。グッドです!
B戦、小学生まじりのチームながら、臆せず所々で面白いプレーを見せてくれました。ベリーグッドです!

この冬から春にかけて行われる合宿や遠征などで、さらにひと皮むけたチーム、選手へと成長するのでしょうね。楽しみです!




TRM vs 古賀北中・自由が丘中
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フクオカーナA vs 自由が丘中A
前半:1-2
後半:3-0
結果:4-2

フクオカーナB vs自由が丘中B
前半:0-0
後半:1-2
結果:1-2

フクオカーナA vs古賀北中A
前半:0-2
後半:0-2
結果:0-4

フクオカーナB vs古賀北中B
前半:0-2
後半:3-0
結果:3-2
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MVP:マサ

金言:「何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ。by パブロ・ピカソ



パブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881年10月25日 - 1973年4月8日)は、スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。

ジョルジュ・ブラックとともに、キュビスムの創始者として知られる。生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。



ピカソは仕事をしているとき以外は、一人でいることができなかった。パリ時代初期には、モンマルトルの洗濯船やモンパルナスに住む芸術家の仲間、ギヨーム・アポリネール、ガートルード・スタイン、アンドレ・ブルトンらと頻繁に会っていた。

正式な妻以外にも何人かの愛人を作った。ピカソは生涯に2回結婚し、3人の女性との間に4人の子供を作った。ピカソがパリに出て最初に付き合ったのはフェルナンド・オリヴィエだが、「青の時代」「ばら色の時代」をへて富と名声を得たピカソは、つぎにエヴァという名前で知られるマルセル・アンベールと付き合った。ピカソは彼女を讃えるために、作品に「私はエヴァを愛す (J’ AIME EVA)」、「私の素敵な人 (MA JOLIE)」などの言葉を書き込んだ。しかし彼女は癌を患い、1915年に亡くなった。wiki

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